東京地方裁判所 昭和30年(ワ)1390号 判決 1956年7月14日
原告 笹川拓殖林業株式会社
被告 国
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、「被告が原告に対し、昭和二十六年十二月五日原被告間に成立した和解契約に基き、国有林中の蝦夷松、椴松立木二十七万石を時価により特売すべき義務(随意契約による売渡義務)のあることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
一、本件和解契約成立に至るまでの事情。
原告は造材並びに木材の売買等を目的とする会社であるが、昭和四年三月四日原告を買主とし旧樺太庁を売主として、旧樺太敷香郡敷香町大字敷香大木一番地国有林内第一乃至第四調査区域に生育する椴松、蝦夷松立木五十万石につき、左記のような林産物年期売買契約を締結した。
(1) 売払の年期を昭和四年一月一日より同六年三月三十一日までの三ケ年とする。
(2) 各年度に引き渡すべき立木の材積は昭和三年度十三万石、同四年度十万石、同五年度二十七万石を標準とし、売主は売渡材積を具体的に決定してその年度中に買主にこれが箇所通知をする。
(3) 売主はその売払代金額を定めて買主に納入告知書を発する。
(4) 買主は告知書に指定された期間内にその代金を納入する。
(5) 売主は右代金完納後三十日内に買主に前記箇所通知に記載してある物件を引き渡す。
然るに旧樺太庁は、昭和三、四年度は右約定にかかる手続を経て原告に対し予定材積合計二十三万石を全部引き渡したが、昭和五年度は前記箇所通知も納入告知もせず、もとより約定物件の引渡も全然履行しようとしなかつた。そこで原告は昭和六年三月三十一日を経過する以前の同年一月中に年期延期の申請を旧樺太庁に提出し、同年八月下旬前記年期を昭和九年三月三十一日まで延期し、昭和六年度に九万石、同七年度に九万四千石、同八年度に八万六千石の立木を引き渡すべき旨の内諾を得たが、その後旧樺太庁は右年期変更申請を許可しない旨原告に通知して来たので、原告は昭和十八年七月九日被告に対し、旧樺太庁との右約定による材積の立木引渡を請求する訴を旧樺太地方裁判所に提起した(同庁同年(ワ)第十四号事件)が、同裁判所は同年九月七日原告敗訴の判決を言い渡したので、原告から控訴した(旧札幌控訴院昭和十八年(ネ)第四十三号事件として係属した。なお控訴審において原告は前記立木引渡債務の不履行に基く損害賠償請求に訴を変更した。)ところ、昭和二十五年七月十四日札幌高等裁判所は、右売買は、昭和二十年大蔵省令第八十八号に定められた在外財産に関する取引に当り大蔵大臣の許可を得ることが訴訟要件であるのにこれを得ていないから本訴は不適法であるとして原判決を取り消し訴を却下するとの判決を言い渡し、同判決はそのまま確定した。しかし原告はその後調査の結果大蔵省令は前記控訴審の判決言渡の直前である昭和二十五年六月三十日廃止されていたことを知つたので、更に被告を相手方として東京地方裁判所に前同趣旨の損害賠償請求の訴を提起した(同庁昭和二十六年(ワ)第一六七〇号事件)が該訴訟は係属中裁判所の職権により民事調停に付された。
二、本件和解契約の成立。
原告は右の如き訴提起のかたわら円満解決のため当局に陳情等の運動を続けていたのであるが、昭和二十六年十二月五日、東京都品川区平塚町の法務総裁公邸において、当時の法務総裁大橋武夫は被告の代表者として原告に対し、「原告から本件解決の条件として損害賠償と国より国有林立木蝦夷松、椴松二十七万石の時価による特売を受けることの二つの請求が出ているが、どちらか一つの請求を選ぶべきである。もし単一の請求にすれば和解により本件を解決する」と申し入れたので、原告は被告が原告に対し国有林中の蝦夷松、椴松立木二十七万石を時価により特売(随意契約による売買を意味する。)するとの条件で和解に応ずる旨答え、ここに原被告間に裁判外の和解契約が成立した。その結果原告は被告の同意を得て昭和二十七年十一月二十四日前記訴訟を取り下げた。然るに被告は右和解契約の成立を争うので、該契約に基く被告の原告に対する請求の趣旨記載の義務があることの確認を求めるため本訴に及んだものである。」
と述べ、被告の仮定抗弁を争うと答えた。<立証省略>
被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、「一、原告が本件和解契約に至るまでの事情として主張する事実は左記(1) 及び(2) の点を除きすべて認める。(1) 旧樺太庁が原告に対し昭和五年度に売り渡すべき立木二十七万石につき箇所通知書の手続をしなかつたのは、元来かかる手続は原告において代金納入の準備を整え被告においてこれを確認した上なすべき約定であつたところ、同年度の代金について原告に納入の準備が整わなかつたことによるものであつて、被告に不履行の責任はない。(2) 原告主張の年期延期の申請に対し被告として内諾を与えたことはない。二、(イ)本件和解成立に関する原告の主張事実中、当時の法務総裁大橋武夫が原告主張の如き和解の申込をなし、原告がこれを承諾して和解が成立したとの点を否認し、その余を認める。大橋法務総裁は、原告の陳情に対し原告が損害賠償請求と国有林立木払下の請求との両者を二つながら維持するよりは、請求をそのどちらかにする方が和解を成立させるのに便宜ではないかという趣旨のことを、原告に好意的に勧告しただけのことである。そもそも法務総裁は国を当事者とする訴訟について国を代表する権限を与えられてはいたが、かかる訴訟事件について裁判外の和解をすることはその権限外の事項であり、且つ裁判上の和解をする場合といえども、法務総裁は、その事件が他の行政庁の所管事項に関するものであるときは、主管庁の諒解なしにはこれをなさない慣例であつたことに徴しても、大橋法務総裁がみだりに主管庁の諒解なしに原告と確定的に原告主張のような裁判外の和解契約を締結する筈はないのである。(ロ)かりに大橋法務総裁が原告との間に原告主張のような和解契約を締結した事実があつたとしても前述のとおり法務総裁にはかかる裁判外の和解をする権限は与えられていなかつたのであるから、その効力が被告に及ぶいわれはない。と述べた。<立証省略>
理由
本件における争点は、昭和二十六年十二月五日原告と当時の法務総裁大橋武夫を代表者とする被告との間に原告主張の如き裁判外の和解契約が成立したかどうかということである。ところで原告が被告に対して提起した東京地方裁判所昭和二十六年(ワ)第一六七〇号損害賠償請求事件が裁判所の職権により民事調停に付されたことは、当事者間に争がなく、成立に争いのない甲第九号証によると原告は、右調停手続の進行中昭和二十六年十一月五日自らの示談案として被告が原告に対して金百七十五万八千円の金員の支払をなす外、農林省所管の国有林中椴松蝦夷松立木二十七万石を時価で随意契約により払い下げるべきことを請求する旨提示したことが認められるところ、昭和二十六年十二月五日当時右事件について被告の代表者であつた法務総裁大橋武夫が原告に対し、原告は二つの請求の中いずれか一つの請求に限定すべきである旨提言したことについては、被告においてもこれを争わないのである。しかしながら法務総裁大橋武夫が右により原告の主張するように原告に対して裁判外の和解契約の申込をしたものであるとは到底解し得られないのである。以下その理由を説明する。そもそも法務総裁は原告主張のような事案に関して被告を代表して裁判外の和解契約を締結する権限は有しなかつたのである。即ち、法務総裁は国務大臣でなければならない(法務府設置法第二条第一項)ものであるところ、国務大臣は内閣の構成員であると共に、いわゆる無任所大臣以外のものは別に法律に定めるところにより主任の大臣として行政事務を分担管理する(内閣法第二条第一項、第三条第一項)のであるが、国家行政組織法によると、国家行政組織は、内閣の統轄の下に、明確な所掌事務と権限を有する行政機関の全体によつて、系統的に構成されるべく、国の行政機関は内閣の統轄の下に、行政機関相互の連絡を図り、すべて、一体として、行政機能を発揮するようにすべきものとされ(第二条)国の行政機関の所掌事務の範囲及び権限は、別に法律で定められることになつている(第四条)、ところで本件で問題となるべき昭和二十六年十二月五日当時において法務総裁が如何なる範囲の事務を所掌しかつ権限を有していたかを調べてみるに、その頃施行された法務府設置法によると、法務総裁は、検察事務及び検察庁に関する事項、内閣提出の法律案及び政令案の審議立案、条約案の審議、内外法制の調査、国の利害に関係ある争訟、恩赦、犯罪人の引渡、国籍、戸籍、外国人の登録、登記、供託、人権の擁護、行刑並びに司法保護に関する事項、その他法務に関する事項、昭和二十一年勅令第百一号の規定による政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する事項、連合軍最高司令官の要求に基く正規陸海軍将校又は陸海軍特別志願予備将校であつた者等の調査等に関する事項並びに昭和二十二年勅令第一号の規定による覚書該当者の観察等に関する事項を管理するものと規定され、又別に国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律によると、法務総裁は、国を当事者又は参加人とする訴訟について国を代表し(第一条)所部の職員でその指定する者にかかる訴訟を行わせることができる(第二条第一項)ほか、行政庁の所管し、又は監督する事務に係る前叙の訴訟について、必要があると認めるときは、当該行政庁の意見を聴いた上、当該行政庁の職員で自らの指定するものにその訴訟を行わせることができ(同条第二項)、この場合には、指定された者は、その訴訟については法務総裁の指揮を受けるものとされており(同条第三項)、上掲各規定は調停事件その他非訟事件についても準用さるべきものとされている(第八条)のである。上述したところに鑑みるときは、法務総裁が本件の場合におけるように国有林立木の払下をめぐる国を当事者とする訴訟事件について国の代表者として裁判上の和解その他の訴訟上の行為をすることはともかくとして、相手方との間に裁判外の和解契約を締結する如きことは明らかに法務総裁の権限外の行為であるといわなければならないのである。
いやしくも法務総裁たる者がかかる本来その権限に属しない行為をあえてするようなことは、通常の事態の下においては到底考え得られないことである。これを本件についてみるに、法務総裁大橋武夫が原告に対して前述のような提言をしたのは、被告において原告と調停又は和解等による事件の解決を考慮するにしても、原告が被告に対して如何なる請求をするかを明確にすることが先決問題であるとの配慮から、この点につき原告に対し好意的に勧告する趣旨に出たに過ぎないものであることが、成立に争のない甲第十号証中、同法務総裁の奥書証明部分の文言自体からたやすくうかがわれるのである。もつとも成立に争いのない甲第十一号証によれば、原告が昭和二十七年十一月二十四日前記訴訟につき訴の取下をするに当り(この訴取下の事実は当事者間に争いがない。)裁判所に提出した取下書には当事者間に示談が成立したとの趣旨の記載があり、被告の指定代理人今井文雄が同書面に右訴の取下に同意する旨附記していることが明らかであるが、右取下書の日附は原告が被告との間にその主張のような裁判外の和解が成立したと主張する昭和二十六年十二月五日から既に約一年近くの日子を経過していること及び成立に争いのない甲第十二号証により認められる、右訴の取下の翌日、当時の法務省訟務局長小沢文雄が林野庁に対し原告の訴取下の動機が国有林の特売による払下を受けようとする目的のためであつたことを明らかにして、その通知をしていることから考えても、原告から右のような訴の取下があつたことは原告主張のような裁判外の和解契約が原被告間に成立したことを認めさせる資料とはなし得ないのである。
叙上のとおりであるから原告と被告との間に原告主張の如き裁判外の和解契約が成立したことを前提としてその契約に基く被告の原告に対する義務の存在することの確認を求める原告の本訴請求は理由のないことが明らかであるから、これを棄却すべきものとして、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 吉江清景 高野耕一)